郵政民営化問題について
2007.09.27 Thursday
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何か面白いことないっスか?
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RAINBOW 安部譲二 柿崎正澄
2005.08.15 Monday
![]() ![]() 戦後まもない少年院からこの物語はスタートする。真っ白なキャンバスから敢えて安部穣二は自分なりの昭和史を描きたかったのだろう。彼は塀の中の懲りない面々で知られる作家だが、塀の中だけのシチュエーションでは、彼の経験を作品に投影するには狭すぎた。彼はヤクザ・ノミ屋・予想屋・井戸掘り・ボクサー・パーサーなど。多くの職業を体験し、多くの人々を経験として見ている。これらの経験は三島由紀夫の複雑な彼で読むことができるが、あくまで三島の筆によるものだから。彼の泥臭い経験は彼自身の手で作品にするべきであった。また、詐欺師の素養のある彼はノンフィクション作家としてよりは、漫画原作としての方が力を発揮するタマだ。それをいち早く発見し、柿崎とタッグを組ませた編集者はいうまでもなく相当な腕と目を持っていると思われる。 安部譲二はこの主要登場人物6人の別れに纏わるドラマを全昭和を舞台に描きたいとインタビューで答えていた。まだ若い柿崎の画力が回を増す度に巧くなっているのも頼もしい。読みがいのある長編になりそうだ。
THE 3名様 石原まこちん
2005.08.09 Tuesday
![]() ![]() ![]() ![]() フラットな生活。決まりきったシチュエーション。変わらない友情。ただそこにファミレスがあるから。彼らはダベり、ストローで遊び、ミルクをベコベコする。この下らない時間潰し漫画に、時間潰し以上の何かを感じるのは、根底にセンチメンタリズムがあるからだと思う。なんでもできるような気がしながらも、フリーターで実家に居続ける3人。なんにもできないことを薄々感じながら、朝までのスパンで実現可能なお手軽な企画を暇潰しでやる。んなことやってる場合じゃない気持ちと、下らないことを真剣にやるダンディズムと、三人はいつまでも同じという退廃的連帯感が無作為に入り混じり、時に寡黙に、時にスリルに。ファミレスでの時間は過ぎてゆく。シガテラとは別の意味のリアル。今の自分にはコッチの方が切ない。 古谷実について
2005.08.09 Tuesday
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() シガテラが心に引っ掛かった俺は、とりあえず古谷実について掘下げることにした。行け!稲中卓球部、僕といっしょ、グリーンヒル、ヒミズを刊行順と逆行して一気に読んだ後、QuickJapan vol.43の古谷実特集を読んだ。なるほど。古谷実は根っからの職業漫画家だ。自身もインタビューで「(漫画家は)職業として素晴らしい。理想の仕事。」と大っぴらに答えている通り、彼はけして芸術家でも文学者でもない。「人を感動させる立派な漫画が描けたら最高です。」というように、彼が読者に与えたいのはあくまで『感動』だ。『恐怖』でも『メッセージ』でも『答え』でもない。彼には妻と娘が居て、彼の作品世界とは対極の『普通』で『しあわせ』な生活を送っている。だからこそ、現実に潜む『狂気』もありふれた『愛情』も分け隔てなく描けるのではないだろうか?ホムンクルスの山本英夫とは全く異なるアプローチだが、両者とも『現実』に『リアル』に向き合っている点に共通項を感じる。けして後味の良い作品ばかりではないが、嘘ばかりの情報が氾濫している日本の中に居ると、どうしてもこういう作家の存在が必要だ。「一生は無理。そこまで情熱はない。」という彼だが、「へったクソ」と逆説的に自身の漫画を評して更に人間をうまく描こうとしている辺り。まだ暫くは描いてくれそうである。あと、全然関係ないが、ヒミズの住田はPOISON GIRL BANDの阿部に似てる。かなり。 24HOUR PARTY PEOPLE
2005.07.27 Wednesday
![]() <<解説>> 1976年のマンチェスター。まだ無名だったピストルズのライブに偶然集まった客の中にトニー・ウィルソンはいた。TV番組のレポーターをやっていた彼は、そのライブで感じた『新しい音楽の波(NEW WAVE)』を具現化するためにファクトリーレコードを設立。定期的ライブを企画しながら運営を続け成功の兆しを見るも、ジョイ・ディヴィジョンのフロントマン、イアン・カーティスの自殺によって失速。妻との別れもあいまって、トニーウィルソン本人は絶望の淵をさまようが・・・。前述のジョイ・ディビジョンを初めとして、ニューオーダー(元ジョイ・ディビジョンのメンバーが作ったバンド)、ハッピー・マンデーズ、サートゥン・レイシオなど時代を彩ったバンドのそっくりさん総出演で送る一大ものまね大会。もとい、当時の様子を余すところなく映画化した力作といえる。 <<感想>> LIVE FOREVERに引き続き、これもイギリスの音楽映画。公開当時に音楽マニアな友人(遠藤/元気かな?)と観に行って文献でした読んだ事のなかったFACTRYレコードの周辺の再現映像を見る事ができてまぁまぁ興奮した。ただ、当時は先行して発売されたサントラを元に内容を勝手に膨らましていたので、その時は正直ガッカリ色が濃厚だった。で、何故今これを再見したかというと、イギリスという国を文化をその成り立ちを。音楽と映像で改めて見たくなったからだ。イギリスは社会状況と音楽が密接に関わっている。それはLIVE FOREVERでなんとなく分った。でも、コレを見ていてむしろLIVE FOREVERはベタな表現だったと思い直した。そういえばイギリスには特有のユーモアが存在していた。チャールズ・チャプリンだって、モンティ・パイソンだって、ミスタービーンだってみんなイギリス出身。ビートルズの発言にはいつも風刺とユーモアがあったし、ジョン・クリーズの《Silly walk》はいつだって意味なんてなかった。とっくに言い古された話かも知れないけれど、ジャマイカ発祥のレゲエはイギリスの統治なくして生まれなかったのではないだろうか??? 音楽を現役でやっていた頃は、ジャンルも何も関係なく聞いていた音楽も、大人になって聞いてみると色々な聞き方が出てくるもんだ。ロック雑誌とか読むの嫌だったし、大体あんまり他人の音楽に興味なかったからなぁ。あと、映像を作るようになって、そういう見方もできるようになったから、なんだか全てが楽しい。そもそも昭和以前の文学しか読まなかったような根暗な俺が何故突如として音楽を人前でやろうと思ったのだろうか?ま、いいや。今はただ『イギリス』と『漫画』をテーマに深く潜ってみよう。 LIVE FOREVER by John Dower
2005.07.16 Saturday
![]() <<要約>> 90年代初頭のイギリス。ストーンローゼスの登場とともに盛り上がると思われたシーンもバンドの突然の解散によってポッカリ穴があく。マッシヴ・アタックなど、異色のユニットも頭角を現すがシーンを引っ張るほどの大きなムーヴメントを起こすことはできなかった。そんな中、ニルヴァーナを筆頭にアメリカからグランジの波が押し寄せ、イギリスの街にはアメリカ文化で溢れかえってしまうことになる。(別にグランジがキッカケになったわけではない。既にアメリカ資本の外食産業はイギリスで多くの収益を上げていた。が、一番分かりやすい音楽チャートを一時的にアメリカのバンドが圧巻したことによって、カウンターカルチャーとしてブリットポップがイギリス文化のビックバンの牽引として急成長する礎になったと見るのが適当だろう。)そのアメリカみたいになってしまったイギリスを毒々しいまでにPOPな音で揶揄ったスウェードやブラーといったバンドが徐々に出始める。1994年4月のカート・コバーンの自殺は一つの時代の終焉を暗示し、グランジは急激に失速した。シーンは次に響く新しい音を鳴らしてくれるバンドの登場を待った。そんな時、時代の要求に応えるようにマンチェスターから突如として現れたのがオアシスだ。同年の7月にシングル、9月にアルバムを発売した彼らは、セールス的にも成功を遂げてシーンにおける存在を唯一のものとした。話題となったブラーとのシングル同日発売対決では、中産階級と労働階級という出身の違いをNME紙などのマスコミが煽ったこともあり、不毛な潰し合いの様相を呈した。セールスではブラーに軍配が上がったが、結果的に「労働階級の骨太ロック英雄オアシスと中産階級のまやかしバンドブラー」という偏った見方を一部ロックファンには植え付けるカタチとなった。1995年5月。サッチャー以来11年ぶりに労働党が政権を握り、最年少となるトニー・ブレアが新しい世代を高らかに宣言した。それに呼応するように、イギリス文化もルネッサンス期を迎える。ダニー・ボイル、オズワルト・ポーテング、アレキサンダー・マックイーン、ジョン・ガリアーノ、ダミアン・ハーストなど。アメリカの消費文化に対抗してイギリスのアウトサイダー達が花咲かせたブリッドカルチャーは、もはや世界の中心にあった。 ・・・と、ここまでがこのドキュメント映画の要約。ここからは個人的な感想走り書き。 <<感想>> ・イギリスの国民性なのか?それともノンフィクション映画だからなのか?バンドの出身の階級だとか政治状況だとかがレコードセールスと直結したと分析されている。オアシスもブラーもパルプもプロテストソングを歌った訳ではないけれど。詩の内容がイギリスの状況をイギリス人として唄っているように見えるのは、日本人があまりにも何も唄っていないからなのか?そういう自覚を持って自分がステージに上がっていたからなのか? ・時折3Dのインタビューとともに流れるマッシヴアタックのトラックが格好良い。リアルタイムでバンドをやっていた自分からすると、当時の興味はオアシスとブラー、せいぜいスーパーグラスやオーシャン・カラー・シーンくらいまでだったが、DJ的作曲手法を重視する現在では、彼らの音楽の特異性が良くわかる。DVDも何枚か出ているようなので別途チェックしてみよう。 ・ニルヴァーナがこんな場所にも出てくるとは。。恐るべしカート・コバーン。恐るべしネバーマインド。 ・イギリスの伊達男文化というか。独特だなと。俺としてはデビット・ボウイとディバイン・コメディくらいだな。ルックス抜きで聞けるのは。スウェードとかパルプとか。悪いけど全然だわ。。 ・オアシス兄弟のコメントはプロレス的で非常に宜しい。例えば、リアムが若かりし日を遠くを見ながら思い出すシーン。「悪さばかりをしてた。人んちのドアを叩いて逃げるとか裏庭に忍び込んで物をパクるとか。」「何を盗んだの?」「洗濯物とか芝刈り機とか」・・・おいおい。。。あんまり悪くないじゃん。ピンポンダッシュなんて今じゃ小学生でもやらないよ。。それに芝刈り機盗んでどうすんだよっ。・・・っていう突っ込みができる辺り。俺は素敵だと思います。ちょっとオアシスが好きになってしまった。 ・ノエルがブレア主催のパーティに出席したことで、ロックファンどん引き。そりゃそうだ。リアムがくだらねぇと言い捨てていたのがせめてもの救い。「労働党の党首が子供を私立学校にいれちゃ駄目だ」という駄洒落とも批判とも取れる微妙な理由でパーティに出席しなかったデーモンの方が格好いい。 ・クールブリタニアを扱った下り。なぜtomatoについて言及しなかったのか?という疑問が残る。彼らこそイギリスの最重要ユニットのはずなのに。もしかしてこれも政治? ・終盤で「ロビー・ウィリアムがシーンに出てオアシスは終わった」っていうスリーパーのインタビューがあったけど、そんなにロビー・ウィリアムって凄いの?確かに、本国では売れているらしいけど、俺としては単なる毛深い(若い時の)加藤茶にしか見えないよ。曲は確かにまぁまぁだけど、そんなに熱狂するほどのことなのかな? まぁ色んな音楽が聴けて良かった。オアシスもモーニンググローリー以降は全く聞いていなかったが、これを見てやっぱり聞かなくていいやと思った。映像は見たいけど。コメント面白そうだから。 万祝 望月峯太郎
2005.07.16 Saturday
![]() ![]() ![]() ![]() バタアシ金魚でギコチナイ青春を。バイクメーンで男のダンディズムを。お茶の間でギコチナイ青春の終わりとそれでも終わらない人生を。座敷女で恐怖描写を。鮫肌男と桃尻女では魅力あるキャラの作り込みを。それぞれ作品ごとに結果にしてきた望月峯太郎。ドラゴンヘッドでは世紀末を主軸にしてこれまで培ってきた漫画技法を作品に全て投影したものの、世紀末論争自体の終着とともに不完全燃焼のまま作品は終了した。そしてその次に送り出す作品がこの万祝となる。キャラがそれぞれ立っていて、登場人物はみなイキイキとしている。漫画ジャケ(表紙)も梅雨明けのように晴れやかだ。海賊というテーマは既にONEPIECEの尾田栄一郎が使っているし、映画でもPIRATES OF THE CARIBBEANなど、これまでテーマ選択自体の特異性・先進性が顕著にみられた作者からすると、若干POP過ぎる選択である。が、漫画を読んで納得。これは紛れもなく、ドラゴンヘッドの次に描かれるべき世界であった。他の海賊モノと大きく違うのは、設定が架空ではなくリアルだということだ。日本のある漁師町に生まれた青春をもてあます孫娘が、地元では伝説となっている祖父の遺言状をキッカケにメタファーとしての宝島を目指す。そのお宝も海賊も現実に在りそうな脚色やエピソードが随所に散りばめられ、読者としても徳川埋蔵金ノリで読めるので、これが完全に絵空事として現実を区分けされる事はない。主人公が女性なのも実はこれまでの冒険モノにはない設定なのでは?個人的には、テンションが上がると胸を揉んでしまうフナコがなんとも可愛くて好感を持ってしまう。この機能で女性=冒険モノには向かないというつまらない図式を吹っ飛ばしているような気がする。カトーと初めとする海賊達が格好良いのも◎。台詞もクールの一言。説明的で無駄な会話が一切ない。このさりげない日常の描写についても、望月峯太郎の得意とするところであったのを忘れていた。この先の展開は読めるけど読みたくない。ただ、作者の意図するタイミングで驚き、ストーリーを読み進めたい。万祝はそんな漫画だ。
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